「友達」

高校生ぶりの電子日記。
紙に書いて残す方が好きだけど、たくさん書きたいなって思ったので今日は電子にしました。

 

「友達」ってなんだろう。
今日ふと感じました。
普段何気なく使っている「友達」と言う言葉。
意味を問われたらうまく説明できないなって思って、まず意味を調べてみました。

 

「友達」とは
「勤務、学校あるいは志などを共にしていて、同等の相手として交わっている人。」

 

私の中では「同等の相手」と言う言葉がどうも引っかかるようで、確かに「友達」って心を許し合える存在と捉えるのが一般的な考えだけど、必ずしも同等な立場でなくても良いのかなって。

 

例えば職場の上司と部下の関係であっても、プライベートで遊ぶほど仲が良ければ、それは「友達」と呼んでも良いのではないかってことです。


でも、これだと「友達」と言う範囲があまりにも広すぎる気がして。

 

じゃあ私は今までどんな人のことを「友達」としてみてきたんだろうって考えた時に、私の中の「友達」の定義は「自分と気が合う人」だったのかなって感じます。

 

私自身の中で、「友達」と「気が合う人」の方程式が1番しっくりくる気がして、その「気が合う人」の中でも年齢は特に意識してなかった感じだと思います。

 

だから「同等の相手」と言う言葉に違和感を覚えたのかな。

 

確かに大学の友達より野球関係で知り合った友達が多い気がして。
それは、きっと「気が合う人」と言う意味で「野球といった一つの趣味が合う人」として私自身捉えているからなのかな。

 

野球で知り合った人は、中学生や高校生の頃出会ってるから、大学で知り合った人よりも長い付き合いなのもあって、やっぱり趣味が合うってだけで話が尽きないから、気楽なんです。


もちろん野球の友達にも約束を守らなかったり、お金や時間にルーズだったりする人もいて、合わない人もいるから野球で知り合った人全員が全員「友達」と呼べる存在ではないんだけれど。

 

ここまで私の「友達」の定義を書いてきたけど、やっぱり「友達」の線引きって難しいなって思います。

 

私の「友達」の定義である「気が合う人」って言うのは、言い換えれば「一緒にいて楽しい人」。
そこに年齢差はないです。

 

でも、今日感じたのは「友達」というのは「一緒にいて楽しい人」ではなく、「離れたら寂しい人」でありたいということ。

 

なぜだか、私の中で「友達」と言う言葉を軽く見ることはできなくて。
みんなはどうかわからないけど、私にとって「友達」は家族のように大切にしたいって思える存在でありたいのです。

 

だから、実際私は「友達」がとっても少ないのかも笑

それでも毎日楽しいからそれでいいのかなって思っちゃいます。


その数少ない「友達」を大切にしたいと思います。

 

地元の友達、大学で出会った友達、野球という共通の趣味で出会った友達、バイトで出会った友達。

 

日々出会いに感謝したいと改めて思いました。

 

出会いは一瞬だけど出会っちゃえば一生だから。